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東京地方裁判所 昭和45年(刑わ)6132号 判決

主文

被告人は無罪

理由

一公訴事実

本件公訴事実は、「被告人は、東京都千代田区内神田一丁目一八番地つかさ自動車工業株式会社の自動車整備工として勤務し、自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和四四年二月一八日午前九時すぎころ、同区駿河台一丁目八番地付近道路で、ブレーキ故障の普通乗用自動車を前記会社まで運搬するに際し、あらかじめ同会社社長吉沢栄一から同車がブレーキ使用時に異音を発する旨告げられており、かつ、みずからもブレーキ・ペタルが甘くなつているのを感知したのであるから、同車を運転することは厳にこれを差し控え、他車により牽引する等の方法により事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、いまだ若干の制動力が残つているのに気を許し、あえて同車を運転した過失により、同日午前九時一五分ころ、同区駿河台三丁目一一番地先道路を、日本大学病院方面から本郷通り方面に向かい時速二〇ないし二五キロメートルで進行中、進路前方を左から右に向かい横断歩行してくる後藤久蔵(当時四九年)を認め、停止しようとしたところ、まつたく制動不能に陥り、自車を同人に衝突させたうえ、前方に停止中の他車と自車との間に同人を挾圧し、よつて同人に加療約一年九か月を要する右下腿骨開放性複雑骨折等の傷害を負わせたものである」というのである。

二本件事故とその原因

〈証拠〉を総合すれば、被告人が普通乗用自動車を運転して、昭和四四年二月一八日午前九時一五分ころ、東京都千代田区駿河台三丁目一一番地先道路を、公訴事実記載の方向に、同記載の速度で進行中、前方に停車中の先行自動車および自車進路前方を横断しようとしている後藤久蔵の姿を認め、これらと約一七メートルに接近したところでブレーキペタルを踏んだところ、突如足ブレーキがまつたく効かない状態となり、急遽手ブレーキによつて制動を施そうとしたが及ばず、同人に自車が衝突したうえ、同人を右停車車両との間で挾圧し、その結果同人が公訴事実記載の傷害を負つたことが明らかである。

そして、第二回公判調書中の証人(二級整備士)金森雄一の供述部分、同人撮影の写真二葉、鑑定人(東京農工大学教授)樋口健治作成の鑑定書、証人樋口健治の当公判廷での供述によれば、足ブレーキが右のように効かなくなつた原因はつぎの点にあつたと認められる。

(一)  被告人運転車両(シボレーコルベア、一九六二年式のものと推定される)の足ブレーキ装置は油圧式のもので、被告人がブレーキペタルを踏んだところ、右後輪のホイルシリンダーから右側のピストンが飛び出して外れ、そこからオイルが流出してしまつた。

(二)  ところで、同車輪のブレーキシユーのライニングはほぼ全面的に摩耗しており、前側のライニングは全面的に脱落してなく、後側のライニングは一部分に極く僅かを残すのみであり、ブレーキペタルを踏んでブレーキシユーを拡げ、これをブレーキドラムに押しつけて車輪の回転を停めるときには、シユーの裏金が直接ドラムに接触する状態で、しかも当然ドラム内面の摩耗もはなはだしいと考えられる状況にあつたため、右シユーを拡げる左右二個のピストンの動きが、ライニングの摩耗の場合や少ない場合よりも、ずつと大きかつた。そして、このブレーキは、デュオ・サーボ式と呼ばれる構造のもので、制動をかけると車輪の回転方向(右廻り)にブレーキシユーが廻わされ、このことから生ずる圧力のために左側ピストンは働きにくく、ほとんど右側のピストンのみが外側に動いてシユーを拡げる役割を果すようになつており、本件自動車でも、前記ライニングの摩耗のために増大しているピストンの動き幅がほとんどすべて右側のピストンの動き幅となつてあらわれるという関係にあつたところ、その動き幅は、同ピストンがホイルシリンダー内で動きうる範囲の限界に達していた。もつとも現実には左側のピストンが多少は動くため、右側ピストンの動きも緩和されて、常に右限界点をこえて動くとは限らなかつたのであるが、ブレーキペタルの踏み方が強い場合などには左側ピストンが右緩和の役を果たさないことがあり、その場合にはホイルシリンダーから右側ピストンが飛び出さざるをえなくなるような状況にあつた(ホイルシリンダーはこのような場合に飛出を防止しうるような構造にまではなつていない)。

(三)  同車輪がこのような状況にあつたところ被告人は本件ブレーキペタルを踏み、しかもその力がやや強かつたため、右側ピストンが大きく動いて(一)の事態に至つたのである。

三本件制動不能の事態の予見可能性

そこで右事態の発生が、被告人のような立場に置かれたものに一般に予見可能であつたか否かを検討する。

(一)  〈証拠〉によれば、本件事故に至る経緯はつぎのとおりであると認められる。

(1)  本件自動車は阿部康が本件事故の三カ月ほど前に中古車販売業者から購入したもので、爾後毎日のように通学等に使用し、購入時すでに六万マイル余り走行していたところ、同人は本件に至るまでなお五ないし六、〇〇〇キロメートルほど走行している。本件事故当時、次のいわゆる車検整備までに一年近く残していた。同人は本件事故の一週間あまり前に、被告人の勤務する「つかさ自動車工業株式会社」に板金等の修理を依頼し、被告人が本件自動車を引き取るため運転したことがあつたが、そのときにブレーキの異常が感知されたことはなかつた。本件事故の前日、阿部は同車を運転中ブレーキ操作をした際、後部でにぶい金属音が一回したため、ただちにガソリンスタンドに行つて点検してもらつたところ、ブレーキの効きは悪くないとのことであつたし、それまでとくにブレーキに異常を感じたこともなかつた(むしろ踏み代が少なく、効きすぎるくらいに感じていた)うえ、音がしたのも一回だけでそのときも、他には特段の異常がなかつたため、そのまま東京都千代田区神田駿河台一丁目八番地の駐車場まで運転して、翌朝、前記被告人勤務会社に電話をし、経営者の吉沢栄一に右の事情を話したうえ、「ブレーキじやないかと思うので、気持が悪いから見てくれないか」と右車両の点検を依頼した。

(3)  被告人は、高校卒業以来自動車整備の仕事に従事して来て二級整備士の資格を有しているものであるが、同日朝、吉沢から、本件自動車について「何か下の方で音がする。気持が悪いので見てくれといつているからとりに行つてくれ」とその引きとり方を命ぜられ、ブレーキの故障だろうと見当をつけて、前記駐車場に赴いた。同所で被告人は本件自動車の足ブレーキを踏んでみたところ、踏み込みがかなり甘くなつていることを感知し、ライニングが摩耗しているか、シユーの押えピンがはずれたのだろうと考えたけれども、通常の車両よりも踏み代は少なく、充分制動しうる圧力を感じたところから、なお駐車場内を五〇ないし六〇メートルほど走らせ、その間、何度か強弱の変化をつけてブレーキを踏んでテストしたが別段異常音もなく、制動力もあることが確認できたので、同駐車場から約1.5キロメートル程度の距離にある被告人の勤務会社まで本件自動車を移動するにはレッカー車の助けを借りるまでもなく、低速で運転して行けるものと判断し、そこから道路に出て、途中、何度かブレーキをかけ、またブレーキを使用しながら坂を下るなどして前記のとおり時速二〇ないし二五キロメートルで走行中、本件事故に至つた。

(二)  以上のとおり、被告人は、ブレーキライニングが摩耗しているかも知れないとの認識がありながら本件自動車を運転したものであることが明らかである。そこで、被告人が同車の車輪中に前記のようにブレーキライニングが摩耗してほとんどない状態のものがあることまで認識し、あるいは認識することができたか否か、さらに右状態のためブレーキペタルの踏み方如何によつてはホイルシリンダーからピストンが飛び出すことになることまで予見することができたか否かが問題となる。

前記鑑定書および金森雄一、樋口健治の各証書、被告人の供述を総合すれば、ライニングが摩耗してまつたくない場合でも、制動力は低下するとはいえまつたく損われることはないこと(金森雄一の証言によれば、制動力は二、三割方低下するが五割も落ちるとか零になるというようなことではないという)法定の車両検査に当つてはブレーキの効き具合のテストのみが行なわれ、分解しての検査まではないから、その際の整備には手抜きもありうるわけで、ことに古い外車については費用の関係で整備の手抜かりも多いことが認められ、本件自動車に前記二の(二)の状態の車輪が存することがまつたく考えられない事態であるということはできない。

しかしながら現在の自動車の一般的な使用状態や整備状況からすれば、本件のようにライニングが摩耗してほとんど全くないというような例がごく少数の部類に属することは否定することができないところである(前記鑑定書および金森雄一、樋口健治の各証言)そして、前記のとおり被告人が本件運転を開始するに当つてテストを行なつた結果、踏み代が通常の車よりも少ないと感じた事実(この点は阿部康の証言内容とも符合する)が認められるのである。もしブレーキライニングがまつたく摩耗しているならば通常は踏み代が深くなる筈であるから(前記鑑定書および金森雄一の証言)、踏み代が少ないのはむしろライニングがまだかなり残存している事態を通常は予測させるものといわなければならない。本件自動車でこのような現象がみられたのは、米国製自動車が一般に女性使用者向きにわずかのブレーキの踏み込みによつても制動効果が出るように作られているとの特殊な事情(樋口健治の証言)によるというほかはないのであるが、このような事情が被告人を含め通常の自動車運転者の認識するところであるとは証拠上認めることができない。また、本件車輪が前記のような状態にあれば、当然制動時に金属の擦れ合う音がすると考えられるのであるが、被告人が右テストの際何らの異常音もきいていないことは前記のとおりである(その理由は、このような金属音がさほど大きなものではなく、交通量の多い場合や少し周囲の騒音が激しいと気付かないかもしれぬ程度であり、しかも強い力でブレーキペタルを踏んだときにしかこの音が出ないこと〔前同証言〕、また、乗りつけている車でないと、たとえこの音をきいても異常を感じることはまずないこと〔金森雄一の証言〕にあつたと認められる)。これらの事実に被告人が本件の一週間ほど前に同車を運転した際ブレーキに何の異常も感じなかつたとの前記事実を考え合わせれば、同車の車輪中に前記二の(二)の状態のものがあることを、被告人が認識していたとも、平均的な自動車運転者としてこれを認識することができたともいうことはできないといわなければならない。いわんや本件ホイルシリンダーからピストンが飛び出して外れる事態については、右車輪の状態についての認識の可能性がないばかりでなく、ライニングが摩耗してもブレーキシユーを連結している調整ねじを拡げることによりブレーキドラムとライニングの隙間を正規の値に戻し、ピストンの動き幅を正常な範囲にとどめることがある程度可能であること(前記鑑定書)、ピストンの飛び出しがきわめて稀有の事例であつて、過去に問題にされたことがほとんどないこと(樋口健治、金森雄一の各証言)、理論上は本件のような異常なライニングの摩耗とやや強いブレーキの踏み方が重さなることによつてピストンが飛び出すことがあり得るねけであるが、自動車の安全工学上これを防止する構造が設計上必ずしも考えられていない、あるいはそこまでの必要性が考えられていない程度の稀有のものであること(樋口健治の証言)に照らし、平均的自動車運転者にこれを予見することが可能であつたとは到底いうことができない。もっとも、被告人は自動車整備を業とする二級整備士であり、本件運転も右業務の一環として行なわれたものであることは前記のところから明らかであるが、本件のような異常なライニングの摩耗状態およびピストンの飛出しについてはそれが稀有な事例に属するため整備士の当然知らなければならないこととか、教授内容、試験内容とされておらず、業界紙、雑誌等にもとりあげられていない実情にあり、とりわけピストンが外れるというようなことは、ブレーキの具合が悪いとか故障があることを予め告げられていても、自動車整備の経験が長い有識者でも一般には容易に考え及ばぬところであつて二級整備士であつてもその平均的能力からみて、前記認定の本件事情のもとにおいてある程度のライニングの摩耗等通常ありうるブレーキ故障については予見しえても、本件のようなライニングの異常な摩耗状態およびピストン飛出の事態まで予見しうるとは認められない(前記鑑定書および樋口健治の証言)から、右に述べたところに何の変更も加えるものではない。

そうすれば、被告人に本件事態を予測して本件自動車の運転を差し控えるべき注意義務があつたとはいうことができない。

(三)  ところで検察官は、過失犯の成立には、具体的に如何なる故障によつて事故に至るかについての予見可能性は必要ではないとし、ブレーキの故障という認識が被告人にあつた以上、ブレーキ故障から生じた本件結果に対し被告人には過失責任があると主張している。

しかして、過失犯の予見可能性の対象は構成要件的結果のみではなく因果的経過の概要をも含むものと解すべきであり、行為者は結果のみではなく自己の行為が結果を導くその因果的経過の概要を予見することが可能であることが必要であり、これにより主体的に結果への因果の進行を回避しうる措置をとりうることになるわけであり、問題はその場合の因果的経過の概要についてどの程度の予見可能性を必要とするかであるが、かりに検察官主張のように、客観的予見可能性が、結果発生に至る具体的因果の進行につき存する必要はないと解するとしても、過失ありというためには、何らかの事態の進行によつて人の生命身体を侵害するに至ることの予見が可能でなければならないことは当然である。そしてこれある場合でも、その侵害の結果を回避するため必要最少限の措置を講ずることを行為者に要求すれば足り、つねに事故発生を回避すべき最大限の措置を要求すべきではないことはいうまでもないところである。

本件においては、前記のとおり、被告人にライニングのある程度の摩耗の可能性の認識があり、また、ブレーキシユーの押えのはずれの可能性も認識されていた。このことから、本件自動車のブレーキの効きが通常の自動車よりも悪く、このことによる人の死傷の結果を招来することについての予見可能性が存したことは明らかである。しかし、前記事情のもとでは、予見可能と認められる事態は右のことに尽きると認められ、前記認定のような原因で自動車が急に制動力を失つて人を死傷するに至ることの予見可能性はまつたくなかつたといわざるをえない。そして、制動力の低下により起りうる人の死傷の結果は、これを補う程度の低速で走行することによつて充分に回避しうるというべきであるから、被告人に対し、本件自動車の運転を差し控える措置までも要求することはできないというべきである。したがつて検察官主張の抽象的にブレーキ故障という認識がある以上その内容、程度を問わず、当該故障が一般的には予見可能性のない故障であつても、それがブレーキに関係するものであれば責任を負うべきであり、運転者としては何らかのブレーキ故障を察知した以上は一般的に予見しうるブレーキ故障についてのみならず、最悪の事態である不測の制動力喪失をも考慮に入れて、常に自動車運転を差し控えるべきであるとの理論は採用しえない。

四結論

以上のように、被告人に本件自動車の運転を差し控えるべき注意義務があつたとは認められないから、結局、本件公訴事実は犯罪の証明がないことに帰するので、刑訴法三三六条により、被告人に対し無罪の言渡をする。

(朝岡智幸 小野寺規夫 永山忠彦)

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